売れたバンドには良いマーケターがいる

こんにちは。地元の花火大会当日もマイルーティンに徹した木曽原です。

私はデザインと同じ位、もしくはそれ以上に音楽を聴くことも作ることも好きなのですが、色んなバンドの伝記本などを読むと、世界的な成功を収めた多くのバンドには有能なマネージャー兼マーケターがいることが多いことに気が付きました。

いくつかの例を下記に書いてみたいと思います。

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ビートルズ

説明不要のバンドですが、意外にもビートルズはレコード会社のオーディションに落ちまくっていたようなのです。ビートルズの演奏を聴いて、自らマネージャーを買って出たブライアン・エプスタインが売り込んでいたようなのですが、最終的に契約を結ぶことになるEMIの音楽プロデューサーであったジョージ・マーティンにも相当頼み込んでレコーディングセッションをセッティングしたようで、最初の曲を聴いたジョージ・マーティンはすぐに駄目出しをしたようなのですが、デビュー曲となる「LOVE ME DO」を聴いて、これは良いかもと思ったが、オーディションは不合格にするつもりだったとか。

しかし、セッション終了後、メンバーとの雑談でその人柄を気に入り、自分がこんなに好きになるんだから、みんなから愛されるかもしれないと契約を決めたと言われています。

今となっては信じられない話ですね。

ちなみに、ブライアン・エプスタインは32歳の若さでこの世を去りましたが、その後、ビートルズが崩壊に向かって行った事を考えると、彼が生きていたら、ビートルズの解散はもっと遅くなっていたかもしれませんね。

ローリング・ストーンズ

ローリング・ストーンズにはアンドリュー・オールダムという若干19歳のマネージャーがいました。ビートルズよりも少し遅くデビューしたため、そのマーケティング戦略として、ビートルズは真面目、ローリング・ストーンズは不良という現在では確立されたイメージ戦略を立てました。

今思うと、当時すでに30歳を越えた七三分けのチャーリー・ワッツ(素晴らしいドラマーです)のどこな不良なんでしょうかね笑。

その後、セカンド・シングルの楽曲制作をビートルズに依頼。15分程で作曲を完了させたレノン・マッカートニーを見て、ミック・ジャガーとキーズ・リチャーズにコンビで楽曲制作をするように提案。その後、ミックとキースが名曲を連発したのは言うまでもありませんね。

オアシス

現在、再結成ツアーが大盛況中のオアシスですが、バンドのリーダーである兄ノエル・ギャラガーもまた、素晴らしいマーケターであると言えます。

オアシスの前身はレインというノエルの弟でありフロントマンのリアムが所属していたバンドでした。その最初のバンドのライブを観たノエルが楽屋に行き、今日からこのバンドは俺が仕切ると告げたと言われています。

いくらメンバーの兄でもそのような言動をしたら、喧嘩になりそうなもんですが、その場でノエルがそれまで書き溜めたいた、後に世界中で歌われることになる楽曲を披露して、バンドのリーダーになることを承認されたと。

その後、メンバーはすぐにでもレコード契約を取りに行くことを希望しましたが、ノエルは拒否。まずは演奏能力を磨くため、数年間はひたすら練習とライブを繰り返す日々。噂を聞きつけたメジャーレーベルの契約争奪戦になりましたが、なんとノエルが選んだのは、当時、スタッフ4名の弱小インディーレーベルであったクリエイション・レコード。

当時のオフィスには割れた窓ガラスが散乱されたいたようですが、壁に貼ってあったジョージ・ベスト(イングランドの伝説的サッカー選手)のポスターが契約の決め手になったと言われています。

しかし、インディーレーベルは資金的にレコード配給に限界があるため、レコード配給のみをメジャーレーベルに託す契約を結びました。

現在では当たり前になった方法ですが、当時は結構なインパクトがありました。

メジャーレーベルに所属すると宣伝や配給は期待出来ても、自分たちに思うような活動が出来なかったりします。これは日本の芸能界でも同じようなもんだと思います。

なぜ、ノエルが上記のような戦略を行うことが出来たのか?

それは、単純にノエルが頭が良いということもあるかと思いますが、オアシスに加入する前のノエルは同じマンチェスター出身の人気バンドであるインスパイラル・カーペッツのローディーとして働いていました。

少し前まで田舎で失業保険で生活したいたような人間が、突然、ショービジネスの世界に放り込まれると様々なトラブルに巻き込まれます。

そういったトラブルをローディーとしてノエルは裏側で見て来たため、自分がバンドを始めるときの教訓にしたと言われています。

ノエルの戦略には、まだまだ書けることは沢山あるのですが、今日はこの辺りです。

前にも書きましたが、良いクリエイターだからといって、仕事が沢山来るとは限らないと同じですね。最終的にはコミュニケーション能力が人生を切り開く最も有効なのかもしれませんね。

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この記事を書いた人

Makoto Kisoharaのアバター Makoto Kisohara 株式会社AMAOTO 代表取締役

地元特産品を主に扱うネットショップ責任者として約6年間従事し、在職中はほぼ独学で楽天ランキング1位やAmazonベストセラーを獲得。2014年7月独立。WordPress専門のホームページ制作、ネットショップの出店・構築・運営サポートなどを行うAMAOTOを開業。年間30近くのホームページ・ネットショップ制作に携わり、制作したホームページは優秀なデザインを紹介するWebデザインギャラリーサイトに多数掲載される。2019年6月、株式会社AMAOTOを設立。代表取締役に就任。三重県商工会連合会、大阪商工会議所、三重県知財総合支援窓口などの専門家として年間30件以上のIT支援活動も行う。

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